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2017.2.13 kochi grandma memory

おはよう、琴乃です。

高知県に着きました。駅からおばあちゃんの家まで走るバスは最終16時18分。とりあえずこれに乗り遅れたらとんでもないので、バス乗り場ですでにスタンバッてます。

 

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大阪の夜は長いけど、高知の夜は短い。どっちにも良さがあるよね。

 

先日、高知県に行くたび自然を感じて毎回得るものがある的なこと言ったので、それの補足としてこの記事を書こうと思います。

 

私の母親は介護職なんですけど、教えてくれたことのひとつに

おじいちゃんおばあちゃんが毎回同じことを言うとしても、初めてのように聞く。その人にとって、その日に話すのが自分だけかもしれへん。それでもその話聞いたことあるから話さなくて良いなんて、寂しすぎるやろ。同じことを初めてのように聞くのなんて、簡単やろ?それで喜んでくれるなら、絶対にそうした方がいい。

っていうのがあって、さすが介護のプロ。なんて温かいんだと感動して、それから絶対その教えを守っています。

 

うちのおばあちゃんも、どんどん同じことを話す回数が増えてきました。

でもそれは全部、私や家族との思い出だったりするんですよね。それは聞いたことあるよって言いたい気持ちにもならないんですよね。おばあちゃんが嬉しそうで、何度聞いても私も嬉しくなる。本当よね。

 

最近のおばあちゃん的私のハイライト(笑)は、2年前に餅つきを手伝ったことなんですけど、正直私まじで大したことしてなさすぎて、それはいつも本当にごめん大したことをしていないよおばあちゃん、いやいや琴乃がほとんどやってくれた、っていう会話をして楽しんでます。笑

出来立ての餅が熱すぎて持てないって投げちゃって2人で笑ったこととかは忘れてるってことが、少し寂しい気もするんですけど…。でも思い出は実際にあったことよりも、相手がどう覚えてくれているかが重要ですよね。嬉しい思い出としておばあちゃんの中に残っていることが、温かい涙出るほど幸せです。

 

心のどこかで、おばあちゃんは"おばあちゃん"にならないと思っている自分が居たと思います。私ができないことをなんでもしてくれるし、私より少し前を歩いてくれる。それが当たり前だと思ってた。でも私がどんどん大人になって行くように、おばあちゃんもどんどん"おばあちゃん"になって行く。

新しい思い出を増やせるように、今日も笑顔で会いに行きます。

 

皆さんはおばあちゃんとの思い出、最近作りましたか?

良かったら、皆さんのおばあちゃんとの思い出も聞かせてね。

 

Good bye!